波間に金色の光が躍るがごとく

歴史と由来

活きのいい料理

新富町は、明治五年銀座の大火により
新嶋原と呼ばれていた一帯が焼け野原となり、
廓(遊郭)から花柳界(芸者衆の街)へと町名と共に変わりました。

東京新島原勝景

『躍金楼』という名前は、かの山岡鉄舟が
「岳陽楼記」なる漢詩より名付けたそうでございます。
洞庭湖のほとりから見える風景と、当店から眺めた築地の海の風景がよく似ており、
「金の波が躍る」という一節から、
波の煌めきと活きがいい魚の煌めきを掛け、
「活きのいい料理」を出す店であれ、
との願いが込められたと伝えられております。

躍金楼

開化三十六会席
明治11年の頃の躍金楼

明治28年当時の営業許可証

明治28年当時の営業許可証

代々伝承された思いと共に、店主自ら豊洲の市場に毎日足を運び、
「活きのいい料理」を出し続けて参ります。

躍金楼 店主 記